主催会社 | 相互交通株式会社 |
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プラン名 | 【観光タクシー】函館を堪能しよう!たっぷり函館4時間観光コース |
コース名 | 【4時間貸切コース】たっぷり函館観光コース【ジャンボタクシー】 |
スケジュール詳細 | 【スケジュール(モデルコース)】 4時間 宿泊先(お迎え)⇒立待岬⇒函館山山頂⇒ハリストス正教会⇒元町公園⇒ 外国人墓地⇒五稜郭公園⇒トラピスチヌ修道院⇒啄木小公園⇒宿泊先 ・函館山 「函館に来たら函館山に登らずして帰るのはもったいない」と言われる場所。 もともとこの函館山は海の上の島。陸続きではなかったんです。 それが長い年月をかけて土砂が堆積し、陸続きとなったもの。1899(明治32)年から1946(昭和21)年までは、函館山全体が軍事要塞として利用され、いまでもその遺物を見ることができます。 ・外国人墓地 津軽海峡を見渡す函館山の斜面に、遠い母国を思うかのように外国人の墓地が建ち並んでいます。 ここへ最初に葬られたのは、ペリー艦隊に乗船していた2人の水兵でした。その後開港地として函館へ多くの外国人が訪れるようになり、異国の地で命を亡くす者も多くなったことで、開拓使によって正式に外国人墓地として指定されました。 ・トラピスチヌ修道院 1898(明治31)年にフランスから派遣された8人の修道女たちによって設立された女子修道院。 正式名は「厳律シトー会天使の聖母大修道院」。上磯町にある「トラピスト修道院」と同系。現在の建物は、司祭館が1913(大正2)年の建築、聖堂は焼失した明治末期の建物を昭和初期に再建したもの。 ・五稜郭公園 蘭学者・武田斐三郎(あやさぶろう)によって設計・監督された洋式城郭。「五稜郭」は1860(元治1)年に建築され、城内には「箱館奉行所庁舎」があったが解体されている。旧幕府軍と新政府軍の内戦である戊辰戦争、その最後の戦場が「五稜郭」でした。 明治時代には堀の水で製氷豪が行われ、「函館氷」「五稜郭氷」として首都圏で販売も。大正時代に公園となって一般に開放され、桜の名所として地元函館市民に親しまれています。国指定の特別史跡に指定されています。 ・啄木小公園 1907(明治40)年に、妹とともに故郷の岩手県渋民を出た石川啄木は、文学同人を頼り函館へ。「函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」など、啄木の唄にはわずか5か月の滞在ながら函館時代を詠んだ唄が多いようです。「啄木小公園」のあった場所には、かつて啄木が立った大森浜の砂山がありました。「砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日」。 |
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注意事項 | |
持参するもの | |
集合時間 | ご予約時間の10分前にお越しください。 |
集合場所 | ご宿泊先(お知らせください) |
キャンセルについて | ご利用日前日昼12時まで:0% ご利用日当日キャンセル:50% 無連絡:100% |
集合場所地図 | |
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